※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

阿吽寺(あうんじ)

概要

聖徳太子が建立した巨勢寺(こせじ)の子院。寺の縁起によると、平安時代に巨勢川が氾濫したとき、阿吽法師と名乗る人物が現れて人々を救ったので、阿吽法師をあがめて巨勢寺(玉椿精舎)の一坊に寺を構えさせたという。
貞治元年(1362)に火災で全焼して以来、荒廃し、江戸時代初期に再建されたが、その後も衰退を重ね、無住となった。
明治13年(1880)有志によって仮堂が建てられ、巨勢寺のもう一つの子院で、近くにある正福寺(かつては勝福寺という名称で、江戸時代に改められた)に預けられていた仏像を迎え、さらに昭和60年(1985)4月に再建された。
この地にツバキが多いことから山号を玉椿山といい、境内には、坂門人足(さかとのひとたり)が「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」と詠んだ万葉歌碑が建つ。
阿吽寺の本寺にあたる巨勢寺は、大規模な寺院だったと推定されているが、今では礎石や瓦などが残るのみである。

参考

所在地:奈良県御所市古瀬361
拝観時間:境内拝観自由

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