『永遠まで』

作成者
高橋睦郎著
出版者
思潮社
刊年
2009.7

  『死者という在りし日の生者のために、そして生者という名の来る日の死者のため に』という二行にひかれて読み出した詩集であるが、世界的なモデル、山口さよ子へ 書かれたと思われる『小夜曲 サヨコのために』を、私は夢中で読んだ。あの無表情の 有名なモデルが、『たんねんに粧って、軽やかに着て』何を想い、ステージを歩いたの か。詩人のことばが、死者という在りし日の生者に語りかける。ことばのもつ力が死 者という見えない相手に届いていく。 詩人は自身のことを、『死を喰う不吉な者』と して、祝福されなかったその出生詩を冒頭に書く。 母、祖母、関わりのあった人たち、 そして中国の旅を詠み、中国では4月にまた地震があったが、四川地震の理不尽な「死」 を受けた犠牲者のために思いつづける。『着ては脱ぎ 脱いでは着ながら気付いた 着て は脱ぐ私も一種の服で 本当は着られているのだと 私にも本当は 顔も体もないのだと』 モデルが服を着るように、詩人はことばを着ては脱ぐのであろうか。 「ことばの力」 ということがよく言われるが、この詩集を読みながら服を脱いだ裸の詩人の震えが、顔 も体もない詩人のことばが、どんな力を届けるのだろうと思う。冒頭の出生詩は読む者 にある種の怖さを感じさせるが、詩集を最後まで読み終えると「生」は確実に「死」の 続きで、そして「死」は決して終わりではなく「生」を越えて永遠であり再生していく という事に気付かされる。みずみずしい新緑の季節がまぶしい。