『モネ、ゴッホ、ピカソも治療した絵のお医者さん 修復家・岩井希久子の仕事』

作成者
岩井希久子著編
出版者
美術出版社
刊年
2013.6

  当館では、傷みが発見された蔵書は適宜修復します。といっても修復部門はありませんので、職員が仕事の合間を縫って作業するか、または専門技術 を持つボランティアの方にお願いしています。
  司書と一口に言っても仕事は多種多様で、カウンターに立つこともあれば、目録データを入力することもあります。そして時には、蔵書の修復も行いま す。
  何かの専門を極めたくても、人員に余裕がなければいくつかの担当を掛け持ちせざるを得ませんし、また人事異動などもありますので、知識や技術は どうしても広く浅くになりがちです。
  それはゼネラリスト養成のためには正解だと思いますが、館の利用者からは当然スペシャリストとしての知識・技術を要求されます。しかし、天才で ないかぎり、スペシャリストになるには何か(誰か)を犠牲にしなければなりません。
  ゼネラリストかスペシャリストか。サービス提供者として、しばしば苦悩する問題です。
  さて、今回ご紹介するのは、絵画修復のスペシャリストである岩井希久子さん初の著書です。
  絵のクリーニングに唾液を使うことを知っていますか? 絵具の表面についた汚れを取る最もオーソドックスな方法が、綿棒に唾液をつけて転がす方 法なのです。
  本書には、ゴッホの「ひまわり」をクリーニングする際、絵具が厚塗りで突起があるため綿棒よりも筆を多用したこと、山下清の貼り絵作品で、浮き 上がった色紙を接着するのに注射器を使ったことなど、様々な修復のエピソードが綴られています。   また、修復に関する道具なども披露されていて、例えば岩井さんが編み出した保存パネルには、日本に古くから伝わる表具の技術が応用されています。 同じく岩井さん発案の低酸素密閉による作品保存法では、博物館で普及していた脱酸素剤が使われています。やはり、他分野からの応用や他機関との連 携は効果的ですね。
  まさにスペシャリストな岩井さんですが、その一方で家庭を犠牲にしているという罪悪感があったそうです。仕事と家庭の両立ができず、お子さんた ちにずいぶん寂しい思いをさせたと述懐されています。でも今では、その娘さんも修復家を目指されているそうですよ。   岩井さんによると、現存する名画の8割が過去の修復によってオリジナルの風合いを失っていて、特に日本ではほとんどの美術館に修復部門がなく、 作品が危機的状況にあるのだとか。
  そんな文化意識の低い日本の現状を打開すべく、国内に修復センターを作りたいとも書かれているのですが、奇しくも先月、奈良県は政府の「国家戦 略特区」のアイデア募集に対し、美術工芸品を含む文化財修復に関わる国内外の人材を育成するための、文化財修復国際センター(仮称)を設立する「 文化財修復特区」を提案しました。
  美術館・博物館・図書館・文書館は、それぞれ保存・修復が必要な「紙」素材の収蔵品を有する点で共通しています。文化財修復特区のニュースから は、当館としても新たな連携を図れそうな明るい兆しを感じます。
  芸術の秋、本書を読めば絵画の見方が変わること請け合いです。