シリーズ近代文学と奈良 6

志 賀 直 哉 ・ 奈 良 の 日 々


 志賀直哉は当館に来たことがあるらしい。と言っても奈良公園内にあった旧館時代のことである。彼の日記の昭和2年5月1日には、<古本屋にて三河物語、徳川實紀その他を求むれども皆無し、 −中略− 奈良の図書館にて見るつもり。>翌2日、<図書館の中川氏に會ひ本の事をきく。―――>とある。彼はよく自宅周辺を散策した。そのついでに図書館に立ち寄ることもあったろう。
 志賀直哉は大正14年4月から奈良市幸町で3年間借家住まいし、上高畑に初めての家を建てて移り住んだ。それまでの借家暮らしをやめたのはひょっとしたら永住する気があったのかもしれない。
 この家の二階で、『暗夜行格』は完成した。
 昭和12年3月1日<「暗夜行路」五十三枚程とうとう書上げた。>日記にあるのはそれだけである。連載開始から17年目であった。

奈良市高畑大道町  旧志賀邸

 「とうとう」には<―――どうしても手がつけられずにいた未完の小説を遂に完成したという事で私の気持は非常に楽になった。長年何となく気にかかっていたものから自由になったことが嬉しかった。>(『暗夜行路』あとがき)という感慨がこもっている。
 奈良での志賀直哉は、父との確執が解消し、作家としての不動の地位を築さ、妻と6人の子供、多くの友人に囲まれ、精神面、生活面ともに安定した時期であった。『山科の記憶』『邦子』『豊年虫』『万歴赤絵』等の後期に分類される短編と『沓 掛にて』『リズム』等の随筆がこの時期生まれた。
 奈良を舞台として身辺の人々や事件を暖かい眼差しで描いたものが多く、のちに奈良に縁深い作品を集め『奈良』と題して限定版を出してもいる。
 これらに小品が多いのは、そうした安定感がもたらしたものだろうが、もともと奈良移住の目的が、小説の他にあったことも関わっていそうである。
 <志賀さんは京都では、−中略−東洋の古美術に惚れこみ、『東洋美術大観』などの大冊もひろげて見て、その中に感心できないものがあると興ざめがして、「好いものばかり集めた本がはしいネ」といはれたりして、古美術品の写真集『座右宝』刊行の企てがはじまった。>  <志賀さんの山科の住居は、−中略−健康にもわるいので転居を考へられて、『座右宝』の仕事の方でも奈良がよいので、大正十四年四月に、奈良市幸町に移られた。>(瀧井孝作『志賀さんの生活など』)
 『座右宝』は、彫刻・絵画・建築・庭園などを自ら選定し、撮影も指揮しその写真の中から選び抜くという、志賀直哉の美へのこだわりによって生まれたものである。しかもほとんど自費出版であった。もう一つ、彼の美意識の一端を示す例を紹介しよう。
 <(志賀さんが)「―――係りの人が代って若い人が来て彿像の時代などの鑑定も以前と大分違ったやうだ。此方は彫刻の年代も名前もをかしい程全く覺えてゐないネ」皆で(奈良国立)博物館に行った。−中略−志賀さんは陳列棚の前へ行ってもいきなり中を熟と見て、名前のカードなど殆ど讀まず次に移る。>(瀧井孝作『志賀直哉對談日誌』)
 定評や常乱権威に阿らず、自分の感じたものだけを信じるやり方は、彼の文学にも通じる。そしてその審美眼はかなり正鵠を射たものだったに違いない。高畑の志賀邸のサンルーム、いわゆる高畑サロンに集った人々の顔ぶれからもそれは察し得るだろう。
 武者小路實篤らの作家連はもちろん、梅原龍三郎、新井完、浜田葆光などの画家達、作曲家菅原明朗、写真家小川晴暢、彫刻家加納利弘などなど。 これらの芸術家達は、志賀直哉の人柄と真実美を見抜く眼識とを求めて集まったように思えてくる。
 ところで、高畑サロンの魅力には先に述べたものの他に、もう1つ忘れてはならないものがある。それは志賀家の雰囲気である。

奈良にて 家族とのスナップ 昭和4年
(学習研究社『現代日本文学アルバム6志賀直哉』から)

 志賀直哉は、当時としては家族に公平であろうと努めるよき夫・父であったようだ。そこにはかっての父との確執という苦い経験があったのかもしれない。<志賀さんは−中略−實に立派なんだ。奥さんもいゝ、子達もいゝ、>(尾崎一雄『奈良 行』)と誰もがうらやむ家族を持っていた。小説『日曜日』には、奈良の自然を楽しむ一家の微笑ましい様子が活き活きと描かれている。
 高畑サロンでは芸術論だけでなく、将棋や花札、麻雀等で夜が明けることも少くはなかったという。妻、康子(さだこ)夫人が加わることもあったとか。志賀家の全員が、高畑サロンの重要なメンバーであったに違いない。
 志賀直哉はよく旅をし、居を移した人である。その中でも、<・・・丁度十三年になるが、東京を除いて私の生涯で、一番長く居ついた所・・・>(『奈良』あとがき)という奈良を去ったのは、息子に東京で教育を受けさせるためであった。
 彼自身はその後も奈良を懐しみ、何度もここを訪れた。『早春の旅』は、そのことを偲ばせる。

(藤本 佳子)


巡回文庫から連絡車へ

 奈良県立図書館の県内市町村むけサービスが10年度から大きく変わります。県立奈良図書館では従来、県内市町村の公民館、集会所、隣保館等に対し巡回文庫による一括貸出を行い、市町村の読書サービスを支援してきました。しかし、市や町の図書館も整備充実され、県立を中心とした相互貸借の増加にともなって貸借資料の搬送を担う連絡車の運行を望む声も年々高まってきていました。
 県立図書館では、このような状況を踏まえ、新年度から県立2館巡回の機能を分け、奈良は図書館設置市町へ連絡車を運行し、橿原は未設置町村へ従来どおり一括貸出を行うことになりました。今後ともご支援ご協力をお願いします。

|目次に戻る| |次へ|


奈良県立奈良図書館「芸亭」