大韓航空機がソ連に撃墜された年月日(また午前か午後か)と乗っていた人数を知りたい。

インターネットのサーチエンジンで「大韓航空機」「ソビエト」「撃墜」などのキーワードで検索したところ、1983年9月1日に、当該事件に関するwebページが確認できました。そこで、当館資料にもとづいて事実を確認するため、『日本経済新聞縮刷版』で1983年の9月分を調べたところ、該当記事が記載されていました。記事によると日本時間で1983年9月1日の午前、乗っていた人数は269人(乗客240人、乗員29人)です。
 
◆出典・参考資料
日本経済新聞縮刷版』 1983年9月 日本經濟新聞社編 中央産業經濟研究所 (070-ニホン-Z) 2日1面

大正時代に売られていたカブトビールについて知りたい。

「カブトビール」は明治32年、愛知県半田の丸三麦酒株式会社で醸造、発売されました。
その前身は明治20年に開業した丸三麦酒醸造所で、「丸三ビール」を発売し、第4回勧業博覧会にも出品されたということです。明治29年に丸三麦酒株式会社と改組されて、新式醸造機械を購入しドイツ人技師を雇い入れてドイツ式の醸造を行い、「カブトビール」として発売しました。「カブトビール」は明治33年のパリ万国博覧会では金牌を受賞するなど好評を博したことから急成長を遂げ、明治から大正にかけて当時のエビス、キリン、アサヒ、サッポロなどと並ぶ有力なブランドであったということです。丸三麦酒株式会社は日本第一麦酒株式会社となり、さらに明治41年加富登(加武登)麦酒株式会社に改称されました。
当時の広告にはトレードマークとして兜の図が掲載されています。
また愛知県半田市には、カブトビール製造工場が明治の赤煉瓦建築として残されています。
 
◆出典・参考資料
Asahi 100』 アサヒビール株式会社社史資料室編 アサヒビール (588.54-6)

万葉集巻十八の大伴家持の長歌「海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば草蒸屍 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ」が、軍歌になっているのはどういういきさつでそうなったのでしょうか。

昭和12年10月、日中戦争の最中、政府は「国民精神総動員強調週間」を設定しました。10月13日から1週間、ラジオは特別番組を組み、朝の「国民朝礼」と夜の「国民唱歌」の時間に「海ゆかば」を流しました。大伴家持の長歌「海ゆかば」に曲をつけたのは、東京音楽学校教授の信時潔(のぶとき きよし)で、行事期間のテーマ曲としてNHKが作曲を依嘱したものということです(JOBK大阪放送局の「国民歌謡」の一つとして発表されたとの記述もあり)。その後、この歌は国民精神の作興や戦意高揚のため度々放送され、兵士を戦場に送り出す時にも「愛国行進曲」とともに歌われました。太平洋戦争末期には、ラジオの大本営発表の臨時ニュースの冒頭に使われたということです。また「海ゆかば」は信時潔によって作曲されたものとは別に、明治13年に宮内省伶人であった東儀秀芳が海軍用に作曲したものがあります。
 
◆出典・参考資料
松本健一「海ゆかば 再び」(『発言者』第89号) 西部邁事務所 (050-ハツケ-Z)

明治20年頃の大阪の町名がわかる資料はあるか。現在の天王寺区上本町付近について知りたい。

『大阪都市地図 明治前期・昭和前期』のp.92-95に「第3部 5千分の1図」があり、1890(明治23)年と1931(昭和6)年の地図が対照できます。また、大阪市の町名の変遷は『大阪の町名 大坂三郷から東西南北四区へ』のp.344-346にも記載がありますので、そこで確認することができます。
 
◆出典・参考資料
大阪都市地図 明治前期・昭和前期』 清水靖夫編 柏書房 (291.63-53)
大阪の町名 大坂三郷から東西南北四区へ』 大阪町名研究会編 清文堂出版 (291.63-28)
大阪府全志 巻之1~5』 井上正雄著・発行 (216.3-12~16)

古典落語の「三十石船」の噺が載っている資料はあるか。

古典落語の「三十石船」の噺と言われるのは、「三十石」、別名「三十石宝の入船」、「三十石夢の通い路」、「三十石浮かれの舟歌」などと呼ばれた噺のことだと思われます。「三十石」は江戸時代、大阪で作られた噺ですが、三遊亭圓生の十八番として知られています。当館所蔵の『古典落語』第4巻p.29-56に、三遊亭圓生の「三十石」の噺が掲載されており、「三十石」の噺の成立等についての解説も付いています。
 
◆出典・参考資料
落語事典』 増補 東大落語会編 青蛙房 (779.13-トウタ)
落語ハンドブック』 改訂版 山本進編 三省堂 (779.13-28)

遺伝子の「子」はなぜ「子」というのか。

白川静著『字通』「子」の項に微小なもの、微小なものの名の下につける接尾語とあります。また、『平凡社大百科事典』「遺伝子」の項に、英語の「gene」に対し、日本で「遺伝子」という語をあてるようになったのは1936~37年頃、1937年の田中義麿著『遺伝学』(再版)に初めて登場したとあります。
なお、『遺傳學』田中義麿著、裳華房(1934年)にも関連記述があります。
 
◆出典・参考資料
字通』 白川静著 平凡社 (813.2-44)
平凡社大百科事典』 平凡社 (031-48-1)
遺傳學』 田中義麿著 裳華房 (467.7-2)

「月づきに月みる月は多けれど月みる月はこの月の月」 この歌の作者を知りたい。

国歌大観、歌学大系、校注国歌大系、短歌、狂歌の辞典類の検索では見つけられませんでした。国文学研究資料館に問い合わせたところ、『夏山雑談』に収録されているこ とがわかりました。『夏山雑談』は、おもに有職故実に関する事柄を聞き書きしたもので、この歌の作者は不詳ということです。『日本随筆大成 第2期20』に収録されており、p.295に該当の歌があります。
「月づきに月みる月はおおけれど月みる月はこの月の月」
 
◆出典・参考資料
日本随筆大成 第2期20』 寺門静軒ほか著 吉川弘文館 (081-46-2.20)
日本古典文学大辞典 4』 日本古典文学大辞典編集委員会編 岩波書店 (910.33-12-4)

銃砲兵第7連隊について詳しく書かれたものがないか。

『日本陸軍兵科連隊』によりますと、銃砲兵第7連隊は昭和19年5月3日に沖縄で編成、独立混成第四十四旅団に編合され沖縄で玉砕、とあります。『沖縄作戦の統帥』では独立混成第四十四旅団の動向は確認できるのですが、銃砲兵第7連隊までは記述されていませんでした。
インターネット上の情報では第三十二軍の主要部隊の一覧にも名が見えます。
また、沖縄県立図書館に照会したところ『沖縄方面陸軍作戦 』(戦史叢書 11) にも記載があるとの回答を得ました。同書は第三十二軍に関して詳述されており、その創設について書かれた第二章で沖縄守備隊の部隊のひとつに銃砲兵第7連隊の名を確認することができました。
 
◆出典・参考資料
日本陸軍兵科連隊』 新人物往来社 (396.2-3)

「スズキヘキ」という人物について、またその作品を知りたい。

『日本児童文学大辞典』に「鈴木碧(すずき へき)」の記載があります。また、『仙台児童文化史』に人物についておよび代表的な詩数編の紹介があります。
 
◆出典・参考資料
日本児童文学大事典』 大阪国際児童文学館編 大日本図書 (909.3-オ-1)