※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

美努岡萬墓(みののおかまろのはか)

概要

美努岡萬は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した官人で、大宝元年(701)、山上憶良(やまのうえのおくら)らとともに遣唐使として唐に渡った。
明治5年(1872)、土を取る作業中、偶然この地から銅版に銘文が刻まれた墓誌が発見された。
墓誌には美努岡萬の名前が刻まれていたことから、ここが墓であることが分かった。
昭和59年(1984)に、生駒市と奈良県立橿原考古学研究所による発掘調査が行われ、遺骨の一部や明治時代に埋め戻された墓誌の模造品、墓穴を覆っていた木炭片が発掘された。

参考

所在地:奈良県生駒市青山台117-134
見学自由

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