浄土真宗本願寺派の寺院で、飯貝御坊とも言われる。
山号は六雄山(むつおざん)。
文明8年(1476)に蓮如が創建し、明応4年(1495)に蓮如の子・実孝が入寺し後継住職となる。
しかし、吉野一帯は金峯山寺の支配下にあったため、たびたび衝突を繰り返す。
その後、吉野・宇陀地方の本願寺末86カ寺を束ねて隆盛を得たが、戦国時代には、織田信長の命を受けた筒井順慶軍により堂宇の大半が破壊された。
すぐに仮本堂(現・対面所)が再建され、江戸時代の寛文年間(1670年ごろ)から寛政年間(1789~1800年)にかけて境内の整備が進み、大和の真宗寺院の頂点に位置付けられた。
所在地:奈良県吉野郡吉野町飯貝567
拝観時間:境内拝観自由