※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

藤ノ木古墳(ふじのきこふん)

概要

法隆寺西院伽藍(がらん)の西に位置する円墳で、国の史跡。出土品から、6世紀後半に造営されたと考えられている。
今日では、墳丘表面にコグマザサが植えられ、周辺には解説板やベンチが設置されるなど、公園として整備されている。春と秋の特別公開で石室内を見学できるほか、常時、石室入り口の扉のガラス窓越しに、石室の様子や玄室の石棺(実物)を見ることができる。
藤ノ木古墳は、かつて「陵山(みささぎやま)」と呼ばれており、法隆寺では崇峻天皇陵とも伝わる。その後、発掘調査が進むにつれて、被葬者として物部氏、蘇我氏、膳臣氏、あるいは穴穂部皇子(あなほべのみこ)と宅部皇子(やかべのみこ)の合葬説など諸説が提示されているが、決定的な遺物が出土しておらず、今なお結論は出ていない。
豊富な副葬品が見つかっていることで知られ、昭和60年(1985)の発掘調査では、石室から優美な金銅製の馬具などが出土、昭和63年(1988)の開棺調査では、金銅製の冠や?(くつ)などが埋葬当時のまま見つかった。

参考

所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目

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