※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

奈良の墨(ならのすみ)

概要

「日本書紀」によると、推古天皇18年(610)に高句麗の僧が紙墨の製法を日本に伝えたとされる。6世紀の初め、仏教の布教とともに経典の需要が高まり、貴重な墨は宮廷で管理された。その後、遣唐使として唐へ渡った空海が、平安初期に墨と筆の製法を持ち帰り、国内で墨が作られるようになった。
奈良の墨は「南都油煙墨」と呼ばれ、室町時代に興福寺の二諦坊で作られた油墨が起源とされる。江戸時代に入ると各地で製造されたが、技術の高い奈良に多くの職人が集まったため、奈良は全国シェア約90%を誇る墨の主要産地となった。
以来、文化2年(1805)創業の墨運堂をはじめ十数社の製墨所によって、伝統産業として今日まで受け継がれている。その製造工程は、膠(にかわ)と煤(すす)を練り合わせ、木型に入れて成型し、長期間かけて乾燥させたのち、磨き、彩色を施して完成する。

参考

※写真は、墨運堂(ぼくうんどう/奈良県奈良市六条1-5-35)にて撮影

※コンテンツの著作権は、原則として奈良県に属します。当サイト上の文章・写真等の無断使用・転載、二次利用を禁止します。
Copyright (C) Nara Prefecture All Rights Reserved.