宮内庁によって舒明天皇の押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)に治定されている直径約40メートルの上円下方墳(または上部が八角形)。
石室には二つの石棺がT字形に収められており、舒明天皇と母の糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)のものと考えられている。
舒明天皇は山背大兄皇子と皇位を争い、蘇我氏の後ろ盾を得て即位した。
最初の遣唐使を送り、百済や新羅からも使節が訪れるなど、大陸との交流を行った。
近くには、大伴皇女墓(おおとものひめみこのはか)や鏡女王墓(かがみのおおきみのはか)がある。
所在地:奈良県桜井市忍阪
参拝自由