※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

大納言塚(だいなごんづか)

概要

大和大納言と呼ばれた豊臣秀長の墓所。
秀長は豊臣秀吉の異父弟で、秀吉の片腕として辣腕(らつわん)を奮い、天下統一に貢献した。 郡山城主であった筒井氏が伊賀国へ国替えの後、天正13年(1585)閏(うるう)8月、秀長が大和・紀伊・和泉の三カ国を領する百万石の太守となり、同年9月、郡山城に入った。 城郭の改築、城下町の整備と繁栄に努めた秀長は、天正19年(1591)、郡山城内で死去。 亡きがらは箕山に葬られた。
江戸時代になって墓所は荒廃したが、春岳院の僧・栄隆(えいりゅう)や町民らの尽力で、安永6年(1777)、五輪塔や土塀が整備され、今日に至る。

参考

所在地:奈良県大和郡山市箕山町
見学自由

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