※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)(さきみささぎやまこふん/ひばすひめのみことりょう)

概要

佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群の西群に属する全長207メートルの前方後円墳。
後円部は直径131メートル、高さ21.3メートル、前方部は幅87メートル、高さ12.3メートル。周濠(しゅうごう)があり、葺石(ふきいし)や円筒埴輪(はにわ)列が巡っている。
大正4年(1915)に盗掘に遭い、その時の記録から後円部頂に竪穴式石室があることが分かっている。石室の上には屋根形石と蓋形(きぬがさがた)、盾形、家形の埴輪があったとされる。
築造時期は、4世紀後半~5世紀前半と考えられている。
宮内庁は、垂仁天皇皇后日葉酢媛命の狭木之寺間陵(さきのてらまのみささぎ)に治定している。
古代、位の高い者が亡くなると、近習の者たちが墓の周りに埋められる風習があったが、垂仁天皇はこれに心を痛め、殉死を禁じたという。日葉酢媛命が亡くなった際には、野見宿禰(のみのすくね)の進言によって、殉死に代わって埴土(はにつち)で人や馬などを作り、陵墓の周りに立てることにした。これが埴輪の起源となったとの説があるが、考古学的見解からは否定されている。

参考

所在地:奈良県奈良市山陵町

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