聖武天皇の皇女で光仁天皇の皇后・井上(いのえ)内親王と、その皇太子・他戸(おさべ)親王を祭る。寛永14年(1637)再建の本殿は、三間社流造で県の文化財に指定されている。
続日本紀(797年)によると、皇后(井上内親王)は天皇を呪う祈祷(きとう)をさせた罪で、宝亀3年(772)、皇太子とともに地位を廃され、その後、幽閉先の宇智郡(現・五條市)で亡くなった。二人の死後に続いた天変地異はたたりとされ、延暦19年(800)、霊を弔うため、この地に霊安寺がつくられ、その後まもなく御霊神社がつくられたと伝えられる。神社には、光仁天皇の皇子・早良(さわら)親王も祭られている。井上内親王の罪については、皇位継承をめぐり利害が対立していた藤原百川(ももかわ)の陰謀との説もある。
13世紀以降、御霊信仰が盛んになり、宇智郡一円に分祀(ぶんし)された。
一方、霊安寺は、正長元年(1428)土一揆(どいっき)で焼失。その後、神宮寺として復興されたが、明治初期の神仏分離令で廃寺となった。
所在地:奈良県五條市霊安寺町2206
拝観時間:境内拝観自由