※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

五社神古墳(神功皇后陵)(ごさしこふん/じんぐうこうごうりょう)

概要

佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群の西群に属する全長275メートルの前方後円墳。
後円部は直径195メートル、高さ26メートル、前方部は幅155メートル、高さ19メートル。墳丘は3段築成で、丘陵の途中を断ち切って築造されている。
佐紀盾列古墳群の中で最大で、築造は古墳時代前期。後円部北西には陪塚とされる古墳がある。
宮内庁は神功皇后の狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)に治定している。
神功皇后は、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、第15代応神天皇の母。日本書紀では、仲哀天皇が筑紫(九州)で亡くなった後、おなかに子(後の応神天皇)を宿したまま、海を渡って朝鮮半島に出兵し、新羅の国を攻めたと伝えられている。

参考

所在地:奈良県奈良市山陵町

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