※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

吉備内親王墓(きびないしんのうのはか)

概要

吉備内親王は草壁皇子と元明天皇の次女で、文武・元正天皇は兄と姉。天武・持統天皇の孫にあたる。
長屋王の正妻として平城京の一等地にある広大な邸宅(現在はスーパーになっている)で暮らしていたが、「長屋王の変」で子どもとともに自害した。
吉備内親王墓は長屋王墓の北西150メートルの住宅地に所在する塚で、現状は直径20メートル、高さ2メートルほどの円墳である。
「大和志」(1734年)に、平群梨本村に双墓があり長屋王夫妻の墓とする記載があり、明治34年(1901)、長屋王墓とともに宮内庁によって治定されている。
明治26年(1893)の調査では、「墳丘に埴輪の残欠多く、巨石が鍵の手に埋まっている」とあり、絵図にも3つの巨石が描かれている。同32年の平群村の調査図では、台形状の塚として描かれている。
現在は方形の石垣と生垣で囲まれ、南側に長い石段の参道が付いている。

参考

所在地:奈良県生駒郡平群町梨本773

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