「延喜式」(927年)の神名帳に記載された「片岡坐神社」に比定される。
古くは王寺町元町の大峯に祭られたとされ、大峯には旧鎮座地と伝えられる「モトミヤ」がある。今も宮座が残っている。
「本朝世紀」によると、正暦5年(994)、疫病や天変地異が続いたため、中臣氏人(なかとみのうじひと)を宣命使として救済祈願の奉幣が行われたという。
明治24年(1891)の明細帳によると、祭神は八幡大神、住吉大神、豊受大神、清滝大神、天照大神の五柱であり、中世から江戸時代には、「五社大明神」「五社明神」とも呼ばれていたようである。
明治42年(1909)には、大田口にあった金計神社、中村にあった大原神社、門前にあった住吉神社を合祀(ごうし)し、今日では王寺全体の総鎮守として祭られている。
所在地:奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目
拝観時間:境内拝観自由