※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

小墾田宮推定地(古宮遺跡)(おはりだのみやすいていち/ふるみやいせき)

概要

古宮遺跡は、これまで推古天皇の小墾田宮と推定されてきた遺跡である。
明治時代には金銅製四環壺が出土したと伝わるが、現在は古宮土壇だけが残されている。
昭和45年(1970)と昭和48年(1973)に行われた発掘調査では、土壇付近で7世紀前半の小池や石敷き遺構、掘立柱建物跡などが出土。
当初これらは、小墾田宮を構成する遺構の一部と考えられた。しかし、昭和62年(1987)に、飛鳥川右岸の雷丘東方遺跡で、奈良時代の井戸から「小治田宮」と墨書された土器が多数出土したことから、雷丘東方遺跡が小墾田宮跡である可能性が高くなってきた。
現在では、古宮遺跡は蘇我氏に関わる庭園の跡とする説が有力になっている。

参考

所在地:奈良県高市郡明日香村豊浦

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