塔跡基壇に、明日香村で最大級となる10個の礎石が残るが、文献や記録が全く残っていない謎の寺の跡。昭和62年(1987)に行われた発掘調査では、塔と金堂、講堂が南北に並ぶ、四天王寺式伽藍(がらん)配置の寺だったことが分かった。
創建は7世紀前半と考えられ、かなり大きな寺院だったと推測される。聖徳太子の弟の来目皇子(くめのみこ)が創建したという伝説や、橿原市の久米寺の奥の院であったという伝承が伝わるが、定かではない。
現在、塔跡には、鎌倉時代の石造の十三重塔が立つ。
所在地:奈良県高市郡明日香村奥山
見学自由