永禄12年(1569)、郡山の僧侶、実感によって西ノ京付近に真言宗の寺院として創建されたと伝えられる。
寛永18年(1641)に現在の地に移り、宝永7年(1710)に国誉上人により融通念仏宗の寺院となり、北和地域の融通念仏宗の中心的な寺院となった。
本堂と庫裡の間にある玄関は堂々とした檜皮(ひわだ)ぶきの唐破風で、興福寺の大乗院から移築したと伝えられる。
境内に赤膚焼の中興の祖とされる奥田木白(おくだ・もくはく)の墓がある。
所在地:奈良県大和郡山市矢田町通18
拝観時間:設定していない