※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

宇陀松山城跡(うだまつやまじょうあと)

概要

宇陀市松山地区の東にある古城山(城山)に築かれた中世から近世初頭にかけての山城跡。南北朝時代から戦国時代にかけて、宇陀三将の一人、秋山氏が山城を構えたのが始まりである。
天正13年(1585)、秋山氏追放のあと、豊臣家配下の大名が城を改修し、城下町を整備した。
関ヶ原の合戦後は、福島孝治(ふくしま・たかはる)が城主となった。このころ、城下町の名前を「松山」と改めた。
元和元年(1615)に福島孝治は改易となり、城は破脚(城割)された。城割役は小堀遠州が担った。
城下である松山地区の町には、町の大手門にあたる松山西口関門が残り、黒門と呼ばれている。
城跡は国の史跡に指定されている。

参考

所在地:奈良県宇陀市大宇陀春日
見学自由

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