※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

宇陀市松山伝統的建造物群保存地区(うだしまつやまでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)

概要

松山地区は、吉野や伊勢と奈良盆地を結ぶ交通の要衝にあり、木材や宇陀紙、吉野葛(くず)を運ぶ商人の町、経済の中心地として栄えた。
今でも、江戸時代後期から明治時代にかけての建物や町並みが残り、かつてのにぎわいがしのばれる。
町の始まりは、南北朝時代から戦国時代にかけて、国人領主秋山氏が築いた城と城下町である。
その後、天正年間(1573~92年)に、豊臣家配下の大名により城下町の拡大整備が行われ、現在の町並みの骨格ができた。
関ヶ原の戦いの後、松山町と改称され、元和元年(1615)、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が宇陀松山藩の藩主となった。元禄8年(1695)に織田家が柏原へ国替えになった後も、松山町は商家町として発展し、「宇陀千軒」と呼ばれる繁栄を築いた。
平成18年(2006)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

参考

所在地:奈良県宇陀市大宇陀区
散策自由

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