神武天皇が東征の折、大和平定の成否を問うため、嚴瓮(いつべ/古代用いられた神酒を入れる土製の容器)を丹生川上神社神域の夢淵へ沈めたところ、やがて吉兆が現れ、魚が木の葉のように浮いて流れた。その様子を臣下の椎根津彦(しいねつひこ)が見届けた場所が、古くから「魚見石」と言い伝えられてきた。
吉凶を占った際に、水面に浮いて流れた魚がアユであったため、以来、魚偏に占と書いて鮎(アユ)となったという。
この伝承に基づき、昭和12年(1937)5月に史跡顕彰の石碑「魚見石」が建立されたが、3度もの洪水に遭ったため、現在は高所に移されている。
所在地:奈良県吉野郡東吉野村小