※下記は、2010年に確認した内容でありますが、その後外観や記載内容が変更されている場合があります。

賀名生皇居跡(あのうこうきょあと)

概要

堀家住宅(室町時代、重要文化財)は、建武中興に失敗した後醍醐天皇が、延元元年(1336)、京都を逃れて吉野に向かう途中に立ち寄った賀名生皇居跡と伝えられる。
その後も、南朝の後村上、長慶、後亀山の3天皇の皇居として使われたとされる。
建物はいずれも、かやぶきの二階門と入母屋造りの主屋から成る。門に掲げられる「皇居」の扁額(へんがく)は、倒幕の志士、天誅組総裁の吉村寅太郎が書いたものである。
堀家には南朝や天誅組ゆかりの品が伝わり、近くの「賀名生の里歴史民俗資料館」で展示されている。

参考

所在地:奈良県五條市西吉野町和田48
公開期間:2月~3月上旬、11月1~8日(事前申し込みが必要)

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