映像作家・保山耕一氏が綴る映像詩『奈良、時の雫(しずく)』からセレクトした作品を月替わりで常設上映する企画。
11月の映像は「錦繍の大和路」(上映時間約38分、リピート再生)
吉野 ナメゴ谷の紅葉 保山耕一
吉野の山といえばたいてい杉檜が植林されているので、季節問わず緑一色がほとんどです。ですが20年前、ロケで吉野へ行ったとき。ナメゴ谷という、緑の山肌に紅葉のラインが尾根づたいに伸びる光景に出合いました。
ナメゴ谷は、山肌が常緑の針葉樹、尾根筋だけ広葉樹が生えている山で、「秋になると紅葉した樹木が尾根をうねり、昇り龍のような光景を創り出す」などと表現されています。
どうしてナメゴ谷の尾根には広葉樹が連なっているのか。理由をテレビ番組で調べることになり、まずは林業関係者にインタビューを試みました。すると「防火林として広葉樹を尾根筋に残しているらしい」とか「私有地の境界線の意味だと思う」とか。どうも歯切れが悪い。だけどそこはテレビ番組だから「林業関係者によると……」と言って、インタビューをそのまま流して、それが定説みたいになって。それでも僕は、現場で林業関係者が確信なく話す様子を知っているから、ずっと気になっていたんです。
10月の常設上映で公開した『天忠組紀行』は、五條・吉野地域を8カ月かけて取材・撮影してできた作品ですが、取材で話を聞いた上北山村の男性から「小便一町糞八町」という、ちょっと下品な!?言葉を聞きました。意味をあとで調べたら「昔の人が徒歩で連れ立って出かける時、大小便のために甚だしく遅れること。小便だと一町、大便だと八町分遅れる」だそうですが。上北山村の男性は「尾根筋で小便をする時は一町離れろ、大便の時は八町離れろ」。つまり尾根筋で粗相したらあかんというふうに説明してくれた。
そしてさらに調べようと、吉野・金峯山寺 櫻本坊の住職 巽良仁さんに伺う機会があったので「修験の聖地である山中で修行中に大小便をする時」について聞いてみた。すると「奥駈(峰入修行)中に山道で便意をもよおした時は、尾根筋から離れて用を足す」と話してくれた。どうしてかというと、修験にとって尾根筋は聖なる場所、祈りの道だから大便も小便もしたらあかんと。その解釈をもうちょっと聞いてみたら「聖なる道やから木も伐採したらあかん」と巽住職のお父さんが言っておられたと。山の民、山伏の思いがナメゴ谷の風景を残したということを知って、やっと腑に落ちたんです。
花も紅葉も盛りは一瞬。続くものではない。だからこそ人は思いを持って見ることができる。テレビカメラマンになりたてのころは、見ごろのピークに照準を合わせてテレビの商品価値に見合う絵を撮ることだけを考えていました。でも本当の美が本当に盛りの頂点なのかはまた別の問題。今の僕は、花は咲き始めが美しいと思うし、紅葉は散りかけ、晩秋が美しいと思う。どこに惹かれるかは年齢とともに変化するし、人の価値観は普遍ではない。花や紅葉をどう感じるかは結局今の心を映す鏡であることは間違いない。
最近は僕も撮るものが変わってきて、暗く落ち込むような絵はあえて撮らないようにしています。暗い気持ちの時にあえて暗い絵を撮るのは、そうすることで自分をさらけ出してすっきりできる効果があるので、病気の直後はあったのですが。今はあえて上を向こうと。自分へのエールです。
『錦秋の大和路』撮影地……二上山 / 當麻寺西南院 / 魚止めの滝(東吉野村) / みたらい渓谷 / 龍泉寺(天川村) / 円成寺 / 高城山(吉野町) / ナメゴ谷(上北山村)
■保山耕一(ほざん・こういち)
1963年生まれ。奈良在住。US国際映像祭でドキュメンタリー部門の最優秀賞である「ベスト・オブ・フェスティバル」を受賞。フリーランスのテレビカメラマンとして『THE世界遺産』『情熱大陸』『美の京都遺産』『真珠の小箱』などの番組撮影に携わるほか、スポーツ、音楽、バラエティまで多方面に活躍。2013年に直腸がんと診断され、現在も治療を続けながら「奈良には365の季節がある」という強い思いを映像にすることをライフワークとしている。