法隆寺 昭和大修理関連略年表

明治8年「奈良博覧会」を東大寺大仏殿で開催。法隆寺の宝物も出陳。
明治11年皇室への宝物献納が決定し、一万円が下賜される。
明治12年各搭頭に伝わる什物を法隆寺本坊に集める。
明治15年興福寺とともに法相宗への独立が認可される。
明治17年フェノロサ、ビゲロ-、岡倉天心が宝物を調査。
明治20年このころから、法隆寺再建非再建論争おこる。
明治25年伊東忠太博士法隆寺金堂などの実測調査着手。
明治26年伊東忠太博士実測調査の成果を『建築雑誌』に発表。
明治30年『古社寺保存法』が施行され、法隆寺建造物は「特別保護建造物」となり保護を受ける。
明治31年2月7日 金堂内壁画の修理費が下付される。
明治32年5月2日 内務省前田健次郎、宝物調査のため来訪。
明治33年4月30日 奈良県塚本技師が聖霊院を調査。
6月12日 奈良県関野貞、塚本、白石の三名が諸堂の宝物調査を行った。
6月23日 奈良県関野技師の案内にて内務省の管員が宝物調査を行った。
6月25日 関野技師、古社寺調査嘱託員川崎千虎、片野四郎等が宝物調査を行う。
7月4日 塚本技師が西円堂調査に来訪。
7月11日 関野技師古仏像調査を行う。
7月30日 塚本技師の案内にて内務省技師伊東忠太外8名が建築物の調査を行った。
8月5日 関野技師が金堂の調査を行った。
明治34年1月11日 関野貞、野潤属の両氏が太子七歳像の調査を行った。
7月22日 宝物調査のため、内務省調査委員岡倉覚三、小杉榲邨、片山四郎、中川忠順、高村光雲等が来訪。
8月28日 古社寺修理技手木村米治郎、西原鋳物師が橘夫人厨子の修理を行う。
11月18日 斯波宗務局長、伊東工学博士、中川国宝調査委員が国宝調査のため来訪。
明治35年1月11日 昨夏岡倉氏一行の調査による国宝編入物の破損修復維持計画のため、内務省古社寺保存計画調査嘱託亀岡末吉、同調査員新納忠之介氏が調査のため来訪。
1月16日 中門の解体修理に着手(〜36年)。
明治36年7月 三経院が東本願寺より返却されたのにともない同院の復旧工事を行なう。
9月3日 五重搭内敷瓦の修復工事を行う。
明治37年12月16日 新納忠之介氏が内務省宗教局中川忠純と共に来訪。
明治38年5月8日 金堂の天蓋を修理。
7月11日 金堂東取附廊下室の一部が破損したため修理に着手。
明治39年8月25日 夢殿内観音立像、金堂内吉祥、多聞天像の修理完成法要を執行。
12月15日 西園院客殿の修理に着手。
明治40年3月5日 夢殿聖観音像の修繕に着手。
3月14日 上御堂本尊の修理がほぼ完了。
6月9日 法隆寺の維持基金捻出のため百万搭三千基ほかの譲渡を決定、
明治41年1月 百万搭が国宝に指定されその修理に着手。食堂北面の屋根替が完成。
4月13日 木造釈迦如来坐像二躯、木造薬師如来坐像二躯、木造弥勒仏坐像一躯、木造弥勒菩薩坐像一躯、木造天鼓音如来坐像一躯、木像阿弥陀如来坐像一躯が美術院で修理された。
9月21日 西円堂本尊薬師如来坐像の修理が完成。
10月5日 大講堂本尊薬師如来三尊像及び四天王像の修理に着手。
明治42年6月22日 金堂内普賢延命菩薩像を修理する。
7月29日 金堂に避雷針を設置する。
明治43年1月18日 大講堂本尊などの修理が完成する。
4月28日 薬師如来三尊坐像三躯、薬師如来坐像一躯、脇侍日光・月光像二躯、四天王像四躯、聖徳太子坐像一躯、四天王像四躯,十二神将立像十躯、千手観音立像一躯、阿弥陀如来坐像一躯、延命普賢菩薩坐像一躯、木心乾漆弥勒菩薩坐像一躯、文殊騎獅坐像一躯等が、美術院で修理される。
6月21日 伝法堂本尊阿弥陀三尊乾漆像の修理が完成。
9月12日 乾漆阿弥陀如来坐像一躯、同脇侍観音・勢至立像二躯、同阿弥陀如来坐像一躯、木造阿弥陀如来坐像一躯、同梵天・帝釈天立像二躯、木造聖観世音立像一躯、塑像道詮律師坐像一躯、木造観音・勢至立像二躯、木造文殊・普賢立像二躯、日光・月光立像二躯、同四天王立像四躯等が美術院で修理される。
明治44年1月3日 大講堂本尊御修繕落慶開眼供養法要が行われる。
12月20日 上御堂の修繕工事が落成した。
明治末年上之堂、南大門、西院回廊、経蔵、鐘楼の解体修理が逐次行われる(〜大正年間)。
大正5年保存方法調査委員会で金堂壁画保存の対策の検討が行われる。
昭和6年三経院、西室が、奈良県の委託工事として解体修理を行う(〜8年)。
昭和9年法隆寺未修理の建造物20件が、総工費170万円、工期12年の予定で着手。文部省に法隆寺国宝保存事業部、現場に法隆寺国宝保存工事事務所を設置。法隆寺国宝保存協議会が組織される。法隆寺昭和大修理の起工式を行う(〜昭和30年)。
最初に食堂および細殿、東大聞と東院礼堂の修理に着手。
次に東院鐘楼、西円堂、地蔵堂に着手。さらに、夢殿、東院廻廊、東院南門、同四脚門、北室院本堂、同表門の修理が行われる。
東院礼堂に続いて3年余の歳月をかけて大講堂の修理工事が行われ、この後東院伝法堂と同舎利殿および絵殿の解体修理が行われた。
昭和14年寺外にあった若草伽藍の搭の礎石が返還される。石田茂作らが若草伽藍を発掘し、搭と金堂の遺構を発見。
昭和15年保存事業部に法隆寺壁画保存調査会が設置されて模写が開始される。
昭和17年五重塔の解体修理に着手。
昭和18年聖霊院の修理はじまる(〜23年)。五重搭の解体修理中、壁画の痕跡を発見。
昭和20年金堂の解体修理始まる。
昭和22年五重塔の初重と内部の須弥山の解体にかかる。
昭和24年模写のさ中、1月26日に出火、金堂壁画を焼損。
昭和25年『文化財保護法』が制定され、文化財保護委員会が発足。法隆寺国宝保存委員会が組織される。法相宗より独立し、聖徳宗を開宗。
昭和26年法隆寺旧境内が史跡に指定される。
昭和27年五重塔修理落成法要が行われる。
昭和29年第一次法隆寺昭和大修理完成ならびに金堂修理落成法要が行われる。
昭和30年新堂の解体修理が1月に竣工し、昭和大修理に予定されていた全建物の修理が完成。
昭和31年6月、残務整理を含めて昭和大修理のすべてが完了。
昭和32年奈良県教育委員会が東室の保存修理に着手。
昭和42年法隆寺境内が歴史的特別保存地区に指定される。
昭和43年若草伽藍跡国営発掘調査がはじまる。金堂再現壁画落成法要が行われる。
昭和46年塔初重の部材が法隆寺に寄贈され、法隆寺羅漢堂として再建(重要文化財に指定)。金堂小壁再現事業が完成。
昭和56年「法隆寺昭和資材帳」の編纂を発願。
昭和60年昭和大修理完成法要を行う。
昭和62年夢殿救世観音像修理完成慶讃法要を行う。
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