戦争と食べもの ①

本年度の展示は、「戦争と食べもの」と言うテーマを設け、太平洋戦争期の食べものについてご紹介します。第1回目の本展示は、「米の配給と供出」と題し、日本人の主食である米を取り上げます。

昭和13年に国家総動員法が定められた以降、米の流通組織が一元化されるなど、政府は米の統制を強めました。奈良県は、「戦地を偲んで二割の節米」の標語を掲げ、節米運動を展開しました。昭和16年4月には、米の配給制が実施されました。配給される米は、大人1人あたり2合3勺(約330グラム)に定められ、それぞれの家庭に米穀通帳が配られました。

米は、玄米からぬかと胚芽を取り除き、白米となります。配給米は、白米ではありませんでした。米穀搗精等制限令により、米の精白は7分以下に限られ、後に5分以下、2分以下と制限が強まりました。米が不足すると、東南アジアなどから輸入された外米が混ざりました。外米輸入が困難になると、米に麦類、ジャガイモ、サツマイモなどを合わせて配給されるようになりました。終戦直前になると、米の不足が更に深刻となり、昭和20年7月には、配給量の1割が削減されるまでになりました。

米の統制は、消費者だけでなく、米を生産する農家にも行われました。農家が、政府から割りあてられた量の生産物を国に売り渡すことを、供出と言います。農家が作る米は、自家保有米を除く全てが政府に供出されました。また、「食糧の増産こそが、農民に負わされた至上命令である」との檄が飛ばされ、農家には米の増産が求められました。

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