白いかっぽう着の「国防婦人会」誕生

昭和7年(1932)3月、「国防は台所から」をスローガンに、大阪市港区市岡で「大阪国防婦人会」(国婦)が誕生した。もともと出征兵士をかっぽう着姿で暖かく見送りたいと考えたといい、折からの国防献金運動とあいまって国婦が誕生することになった。やがて陸軍省の支持を得て東京にも進出、同年10月に国婦の発会式が行われ、会の名称を「大日本国防婦人会」と改めた。翌8年(1933)に「会員十万人あらば!」をスローガンに、地域分会・職場分会方式で組織の拡大がはかられ、9年(1934)4月には総本部が発足した。さらに12年(1937)7月、日中戦争勃発後、国婦は「一家に一人をスローガン」とし、会員数1000万人にのぼるなかで、17年(1942)に大日本婦人会へ統合された。